こんにちは!初めまして!そして、ブログへ遊びにきていただいてありがとうございます。
efucoと申します。efucoと書いて、「えふ子」と読みます。

このページは、管理人efucoの略歴となっています。
自身の学生時代のことなどを綴っていますので、読んで頂けると幸いです。
efucoの略歴
1980年生まれ。
日本の西のほうに生まれ落ちました。
昭和生まれの平成育ち。
独身時代は会社員としてグラフィック関連の企業にMacオペレーターとして勤務していました。
2005年に結婚。その後、2006年に夫が関東に転勤となり、それを機に退職。
転勤後2007年に長子を、2012年に次子を授かりました。
育児期間中に身につけたWebライティングとサイト作成のスキルを活かして、ブログを複数運営するフリーランスとして活動しています。



ブロガーとしての原点
高校時代、新聞部に所属していました。
最初に加入したハンドボール部は帰宅も遅く、練習もきつかったので体験期間で辞退。
その後、先輩から誘われて吹奏楽部を見学するも、エレクトーンを10年習ってもまったく身につかなかった自身の音楽センスのなさから、見学だけして辞退。
その先輩が兼部していた新聞部に誘われて、そのままぬるっと入部しました。
入部後は、学校新聞の発行に精を出していました。
文化祭では芸能人を特集した大判の新聞を発行したり、先生から文章を直接添削頂いたり、記事を依頼されたり。
また、先生から促されて応募した甲子園をテーマにしたエッセイコンクールに入賞し、一面に掲載されたこともあります。
何かを文章で表現することは、とても楽しかった。
だから新聞部は、とても充実していました。
これが、わたしのブロガーとしての原点です。
efucoの高校時代と不登校生活
なぜ新聞部の話をしたのかというと、高校時代の思い出の大半が新聞部での活動しかないからです。
どういうことかというと、わたしは単位がギリギリ取得できる程度にしか、高校に行っていない状態だったんです。
いまでいうと、おおむね不登校に入るのかもしれません。
でも、ズルさ(?)も持ち合わせていたので単位を逆算して計算し、出席日数もギリギリ、単位もギリギリで卒業しました。
成績だけはそこそこをキープしていましたので、補講はありませんでした。
さっさと卒業したかったので、勉強だけはしていた状態です。
これができるのは、高校の良いところかもしれませんね。
不登校といっても家にいられないので、通学途中にある河原でぼけーっと時間を潰したりしていました。
市の図書館で過ごしていたこともあります。
学校に黙ってアルバイトをしていたので、バイト先で時間を潰していたこともありました。
当時、インターネットもなく、ケータイは電話機能しかなかったので、YouTubeなんていうおもしろいメディアもなく、ゲームができるわけでもなく、自宅にいてもそんなに暇つぶしはできません。
なので、とにかく朝に家を出た後、登校する気になるまで河原で時間を潰していました。
一見すると、わたしのこの経験は、不登校ではないのかもしれません。
でも、あのとき、本当に高校に行くのが辛かった。
理由は、人間関係がしんどかったのと、高校という場所がつまらなくて仕方なかったからです。
先日、長子の高校を決めるにあたり、通信制高校のことをたくさん調べました。
最近の通信制高校は、e-sports学科やプログラミングを学べたり、グラフィックデザイン、美容師、イラストレーターなどなど、専門的なことを勉強できる学校もあるようです。
このような、高校からおもしろそうなことを学べる環境に、ちょっと羨ましさを感じました。
高校生だった頃のわたしに、いまのような様々なことを学べる通信制高校という選択肢があったならば、それを間違いなく選んでいただろうと思います。
でも、もしかしたらあの頃の親は、反対していたかもしれませんけどね。
話を戻しますと。
この経験から、子どもたち2人が不登校になってしまったことに対して、ちょっと思うこともあったため、深く思い悩むこともありませんでした。
「学校行けないなら、何をしようか?」
このようなことを常に考えていたように思います。
もちろん、それでも自身は高校まで学校に通学し、勉強だけはしていましたから、そのあたりで葛藤や悩みを抱えたことはあります。
その部分だけは、今でも悩みが尽きません。
このブログでは、このような生い立ちをもつefucoが、自分なりに取り組んできたわが子たちの不登校の話をブログ形式で綴っています。
専門家ではないため、悩みの解決等のお手伝いはできませんが、ブログ記事が少しでも不登校の子どもたちを支えるあなたの心を楽にできれば幸いです。
2023年2月 efuco