「夫」と呼ばれる一生懸命働くあなたへ。14年目のラブレター
とてもつもなくお久しぶりなゆみちんです。
どうも(´・ω・`)
この出だしでまたブログが書けることを、わたし自身がうれしく感じます。
なんせ、自分でも信じられないくらい、ブログが書けなくなってましたから。
それは、noteにも少しまとめていますが、うつに近い状態にまで落ち込んでいたから。
(ぼちぼちこちらも書きます!汗)
始まりは年初でしたが、そこから数ヶ月、季節を感じたことはありませんでした。
もう、秋なんですね。
さて、今日はその話ではなく。
せっかくなので、リハビリも兼ねて、ブログをはじめた当初と同じ気持ちに戻り、まずはこの記事を書くことにしました。
あなたの考え「1人ならできる」
わたしがこの記事を書こうと思ったきっかけは、夫が何気なく発したこの言葉から。
「守るべきものがなければ、新たな挑戦ができる。」
ざっくりと言ってしまえば、自分1人であるならば、嫌な会社など辞めて自由にチャレンジできる、ということ。
きっと、家族を持つ多くの男性が、そういった意識を持っているのかもしれないね。
昔から、あるいは親から受け継がれてきた「オトコは家族を守るもの」とされる考え方があって、それに影響されてるのかもしれない。
それは、わたしには分からない。
あなたではないから。
でも、わたしはずいぶん前から、この考え方に違和感を抱いているんです。
わたし自身女性として生まれてきて、女性として生きながら仕事をし、お金を稼いで子育てをしている。
今はフリーランスとして生活しています。
わたしにも、十分に生活していけるだけのチカラはあるんだよって。
守りたいと思うことはそれぞれ自由です。
それがモチベーションになったり、生きるチカラになったりするだろうから。
わたしの考え「2人だからできる」
でもね、わたしの考えはこうなんです。
「2人だから、挑戦できる。」
たとえば、夫1人が30万稼いでいたとする。
でも、病気になって仕事ができなくなれば、それはゼロとなる。
(保険や社会保障などはここでは考慮しないよ。)
1人であれば当然同じ結果になるよね。
もちろん、扶養する家族がいない分だけ、もっと気楽に無職で居られるということもあるかもしれないけれど。
でも、それが長く続けば、孤独を強く感じることもあるんじゃないかな。
夫婦共働きで、それぞれが15万円ずつ稼いで30万円あれば、片方が無職になったとしても15万円は確実に入ってくる。
ゼロにはならないよ。
夫が倒れたときはわたしが仕事に出ればいい。
働けるときはふたりで働けばいい。
親の収入が足りなければ、子どももバイトをすればいい。
(もちろん、子どもがバイトをしなくてもいいように精一杯がんばるけども笑)
どこかで聞いたよくあるセリフだけど、だれかと生きていくということは、荷物をはんぶんこできること。
だから、1人だから挑戦できるなんて悲しいことを言わないで。
これは押し付けではなく、わたしの願いでもあるんだけども。
わたしたち家族がいるから、安心して挑戦できる、と思ってくれて構わない。
わたしは、わたしのチカラで生きていける。
それは、子どもたちも同じ。
あの子たちはそれぞれに生きるチカラを持っている。
それをもっと信じてほしいし、頼ってほしいし、安心もしてほしい。
そこまでは思ってないよ! なんて言いそうだけど。
お金がなくなることが怖いだけだって言いそうだけど。
どうしてもっと、女性や子どものチカラを信じてくれないんだろうって思うことはよくある。
オトコもオンナも、結婚すれば関係ない。
出産できるとか母乳が出せるとか、その辺の身体的な違いはあるけれど(笑)
もともと1人の人間には変わりないわけで。
助け合って生きていけばいい。
頼りあって生きていけばいい。
結婚してもなお、1人だったらなんでもできるなんて考えるのはもう捨てて。
もっともっと「2人で」生きていくことに視点を向けてほしい。
もちろん、この考えを押し付けるつもりはないし、それでも俺はこのスタイルで、この考え方のほうがしっくりきて生きやすいのだと思うのならば、わたしはそれを応援するよ。
あとがき的な何か
タイトルには夫へのラブレターなんて書いたけども、本当は「1人でがんばろうとしているみんな」に読んでほしいと思っている。
でも、この記事に書いていることは、結婚生活を前向きに捉えている1人の女性であり「ゆみちん」としての意見にすぎない。
SNSが普及し、1人1人が考え方や価値観を簡単表明できる現代において、自分らしい価値観をしっかりと持つことは大切。
だからこそ、この記事を見て「いや、それはきれいごとだ」、「現実は甘くない」、「夫が協力してくれないから無理」など、個々の事情も含めた賛否が、心の底から出てくると思う。
でも、自分と違う意見だからと排除する考え方は、自分の生き方を狭めてしまうことだっておおいにある。
自分の今の状況とは大きく異なるかもしれない。
到底受け入れられるような状態ではないかもしれない。
そもそも、鼻で笑う内容かもしれない。
「そういう考え方もあるのだなぁ、今は受け入れられないけど、もしかしたらいつか役に立つかもしれないなぁ。」
それくらいでゆるく受け止めたり、受け流したりしながら、自分らしい生き方を考えていけばいいんだと思う。
いろんな人の意見、考え方が可視化されている今だからこそ、あえて心をゆるく、少しだけ開いた生き方ができれば、ラクになれるんじゃないかと、最近よく思っています。