お金を稼ぐ勇気、受け取る勇気、使う勇気を持つ。じぶんを豊かにするためにいますぐできること
今日は都内をブラブラとしてきたゆみちんです。
どうも(´・ω・`)
骨折している夫に次女を任せてですね、長女と都内へいってきました。
おめあての「天野喜孝展」にいってきたのですよ。
やっと来れた。撮影OKだなんて!!
来てよかった!! pic.twitter.com/FKAvdsXWX8— ゆみちん@お金が貯まる暮らし方。 (@yumi_HappyStyle) 2016年3月6日
最高でした。
撮影OKだったんで、バンバン撮ってきました。
心の癒しにします♪
そんでですね、こうして夫をほったらかして好きなことができるようになったのも、
お金を受け取る勇気を持ったから
だなぁ・・・なんてことをこの本を読んで思ったんです。
幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII
あの嫌われる勇気の続編であり、完結編ですね。
どうしてお金を受け取る勇気を持つと、好きなことができるのか。
昨年開業してから、仕事は順調にきています。
ありがたいことに、寄稿先が記事の単価をあげてくださったり、単発ですが、1本数万円の記事執筆依頼が舞い込んできたりと、お金が入ってくる量が増えてきました。
ちょっと考えてみると、意図しないのに単価があがっていくと、ちょっと怖いなって感じる部分ってないですか?
ゆみちんはあったんですけどね。
だけど、そんな内から勝手に発生してくる恐怖は横に置いといて
ちゃんと、お金を受け取るようにしようね
ってことが、今日いちばん言いたいことになります。
母の手シゴト
うちの母は、これができていないなと感じます。
せっかくの技術があり、需要もあり、顧客もついているのに、ボランティアみたいな金額で手仕事を請け負っているのです。
じぶんの時間を使い、お客さんの体に合ったものを作り、最高の品を作り上げているのにも関わらず、です。
お客さんから受け取るお金を拒否する。
あるいは謙遜して減額させる。
これって、わたしはやらないほうがいいよなって思ってます。
なぜなら、せっかくじぶんの能力を買ってくれたひとと、じぶん自身にたいして、
わたしにそんな価値はありません
って言っているように感じてしまうんですよ。
非難、批判をしているのではなく、もっと自信を持ってお金を受け取る勇気を持った方がいいんじゃないかっていう意味で書いています。
お金を受け取ることの責任とは?
じぶんが想定している以上の金額を受けとることって、あります。
フリーランスをやって感じましたが、そんなにいただけるんですか!?ってことが、ありました。
で、やっぱりちょっと思います。
そんな金額、受け取れないよ〜〜〜(涙)って。
でも、よくよく考え、深くまでじぶんを見つめていくと、出て来たのは、
責任を負いたくないという自分本位な逃げ道
だったんですよ。
大金を受け取るからには、「いい仕事」をしなければいけないですよね。
で、相手が喜ぶようにしなければいけない。
(ほんとうは相手が喜ぶかどうかはどちらでも構わないのだけど。)
その責任を背負いたくないから、お金なんていらないっていう。
また、他の側面として、そんなに大金を払わせてしまったら申し訳ないと思ってしまうことってないですか?
対企業であればそうでもなくても、やはり対個人、もしくは同じフリーランスだとそう感じてしまうこともあるんですよ。
だけど、いつまでもこの意識のまま仕事をしていたんじゃ、じぶん自身がステップアップできないんですよね。
マインドが悪い。
もうね、この意識って、脳みそにこびりついているので、何人かの稼いでいるかたに聞いてみたことがあります。
やはり、すでに受け取ることを受け入れているかたは、マインドが違いました。
こんなことは考えてません^^;
むしろ、受け取らないとダメだよ!受け取って当たり前だよ!なんて言われてしまったのです。
このことがガツンと響いて、意識を変えようと思いました。
じぶんを信じる勇気=大金を受け取る勇気
じぶんの意思とは関係なく、単価がどんどん上がっていく。
最初はちょっと怖かったけれど・・・
その気持ちは、お金を受け取る勇気を持ち、そこで発生する責任をすべてじぶんで受け取ると覚悟を決めたいまでは、感じなくなりました。
より良い記事を書けばいい。
ただそれだけなんだなって思ってます。
主婦起業家との会話で気づいたこと
そんなことを感じていたときに、古い友人と電話で話していました。
その友人は、これから起業しようかなぁと思っている主婦です。
だけど、じぶんがやろうとしていることで、人からお金を受け取っていいものなのかわからない、といったようなことを言っていました。
これはすごくわかります。
最初のころは、ゆみちんが書く記事にお金を支払ってもらえる、なんて考えてこともなかったし、そんなことが可能なのかどうかもわかりませんでしたから・・・^^;
これも、もしかしたら裏側には「責任を負いたくない」っていう心理が働いていたり、「お金をいただくほどの仕事はできない」とじぶんの価値を信じることができていないだけだったりするかもしれません。
でもね、これって本当にシンプルなことで、
じぶんの仕事を全力でやっていくだけ
なんですよね。
それの積み重ねでしかありません。
そこに、金額とか全然関係ないんです。
全力で仕事をしているのなら、お金だって受け取っていい。
全力で仕事をしていたら、お金はどんどん舞い込んでくる。
おかしいですね、その古い友人、つい10年前にはここに書いたようなことをいっていたんですが、どうしてそんなに自信をなくしちゃったんでしょう^^;
もっと言えば、ちゃんとお金を払ってくれるひとだけと、いっしょにいて心地いいと感じるひとだけと、楽しく仕事をすればいいんだと思ってます。
それは、じぶんの価値はじぶんで決めていいからです。
主婦が抱える深い「闇」
古い友人も、以前のゆみちんも、社会から離れるという経験をして、お金を受け取れなくなってしまったんじゃないかと思ってます。
そう、専業主婦になって、一般的にわかりやすい存在価値である「仕事」から離れてしまった。
そうすると、もうだれも認めてくれるひとはいないわけです。
労働としての対価もない。
ただひたすらに家事に従事し、育児をし、家族の世話をする。
本当はそれだってかけがえのない「社会に必要な職業」なのに、そこに対価が発生しないものだから、どんどんじぶんの価値を見失ってしまう。
だから、いざお金を受け取るようなことがあったとき「わたしにはそんな価値はない」と、決めつけてしまう。
だって、だれも認めてくれてないからって。
いちばん認めてないのは、ほかでもない、じぶん自身なのに・・・
ほんとうに、もったいないと、いまなら思います。
お金の価値と仕事の価値は違うからこそ、お金はちゃんと受け取ろう。
仕事の単価は10万円。
でも、10万円なんて受け取れない。
なら、5万円なら受けられる?
その理由は?
その意味は?
その意識はどこから来てる?
じぶんが豊かになりたい・幸せになりたいと思うなら、提示された金額はしっかりと受け取りましょう^^
そして、どんどんじぶんに投資していきましょう!
そうすることで、じぶんのなかに新しい経験が増えます。
そこから、また新しいステージにいけるのだと思う。
お金を受け取る勇気を持つってことは、じぶんの価値を信じる勇気を持つ
ということなんだな、と本を読んでいて気付かされました。
お金だけじゃなく、友情や援助、助け、愛も同じですよね。
それらを受け取る勇気を持ちましょう^^
専業主婦になってから、じぶんのことを認めることができなくなったひとがこの記事を読んでいるのなら、じぶんには価値があるのだと、じぶんを信じることから初めてみるといいかもしれません。
夫が安心してお金を稼いでくれるのは、わたしという存在があるからだ。
そう考えたっていいくらいです^^
どちらかが下でも、上でもない。
いつもひとは、同じ高さを寄り添い合いながら、歩いています。