こんにちは!efucoです。
今日は、下の子が不登校になったときのお話です。
わが家の不登校状況を紹介|2023年現在
上の子は中2夏から中学卒業まで、下の子は小2から現在まで不登校。2人とも市の適応指導教室に通級。
現在、上の子は週2日通学コースのある通信制高校(私立)へ登校しています。

当ブログは、不登校の専門家ではなく、わが家はこうして乗り越えてきたよ!という内容でお伝えしてます。
下の子の登校しぶりが始まったのは小1終わり。
だけど、その後すぐコロナが始まってしまい、5月末まで春休みが延長。
その後もクラスを2つにわけての分散登校が基本でした。
下の子は、逆にそれが良かったのか、小2が始まってからしばらくは普通に登校できていました。
登校しぶりが再度ひどくなり、行けなくなったのは2021年、小2の2月末頃でした。
ランドセルが背負えない
「お腹痛い…学校お休みする」と、ポロポロと涙を流して訴えてきた日、わたしは、「まぁ、無理はよくないな。何日か休んでもたいした問題ではないし。」と考え、この日は休ませることに。
では、次の日以降は行けたのというとそんなことはなく、遅れて行ったり、1日休んではその次の日は行くというようないわゆる「五月雨登校」というものになっていました。
毎回一緒に登校し、クラスまで送り届け、とぼとぼと歩いていく背中を見ては心配する日々です。
そんなことを繰り返していたある日の朝、こんなやりとりが始まります。
「今日は絶対行くの!」という下の子。
「じゃあ、上着を着てランドセルを背負って!」というわたし。
「うぅぅぅ…」と泣きながら動かない、動けない。
ランドセルが背負えないし、涙も止まらない。
そんな自分を苦しがって、地団駄をふむ下の子。
ランドセルを背負おうとすると、体が硬直して動かなくなるのです。
そんな様子を見て、わたしは「そうか、これが不登校か。」と、ただただ受け止めていました。
そして、「これ以上無理をさせると、この子がこの子じゃなくなってしまうんじゃないか。」という気持ちが湧いてきました。
「今日は学校休もうか。」
わたしはそう伝え、学校に電話を入れることにしました。
そして、この日を境に、下の子の不登校は本格化しはじめます。
この下の子の様子は担任と共有しています。
プリントを受け取りに行ったときに、話を伝えました。
その後、この話を担任経由で聞いた校長先生のすすめで、すぐにスクールカウンセラーと面談。
さらに担任とも面談。
この2回の面談で、学校側現状を共有できたものの、本人の登校しぶりはひどくなるばかり。
結局、ランドセルが背負えない事件から2週間のうち、登校できたのは1日半だけ。
「まぁ、無理はよくない。何日か休んでもたいした問題ではないし。」とは思ってはいたものの、さすがに焦りが出てきます。
湧き出すような焦り。衝動に近い、「…このままでいいの?」という不安感。
覚悟を決めた日
春休みになる1週間前くらいに、「もうすぐ春休みだし、荷物持って帰らないといけないし、明日は図工もあるし行ってみようか。」と下の子に尋ねてみました。
そうすると、「うん!明日は絶対に行く!」と返ってきたんです。
少し、安堵しました。この言葉に。
でも、本当は安堵なんてしてはいけなかったんだなって、「今」は思っています。
もうすぐ春休みだからっていう理由も、安堵していること自体も、わたしが勝手に期待して次女に押し付けている「学校に行ってほしい」というエゴです。
何よりも、下の子から出てきた「絶対に」という言葉は、どこか無理してでも行かなければいけないと思っている裏返しだったんだということが、いまなら痛いほどわかります。
でも、当時のわたしはこの「絶対に」という言葉に、どちらかというと前向きな期待を持ってしまいました。
当日の朝を迎えました。
わたしの顔を見て、「行かなきゃいけないの?」と、下の子が泣いています。
期待はしつつも、そう言うんじゃないかっていう覚悟はしていました。
けれど、休みが長引くとそれだけ復帰も難しくなるんじゃないかという不安が先走り、とにかく家を出ました。
静かについてきていましたが、わたしはなんとなく下の子の顔を見ることができませんでした。
そして、たどり着いた校門前で、下の子は言いました。
「…足が動かない。」と。
この様子をみていた校長先生が、下の子の腕を引っ張って無理に連れていこうとします。
嫌がる下の子を抱きかかえて連れていこうとします。
この様子を見て、わたしは違和感を持ってしまいました。
ここまでしていく場所なのか?学校は、と。
校長先生から次女をやんわりと引き剥がし、教室へと向かいました。
学校の敷地内へ、下駄箱へ、廊下へ、教室へと進んでいきます。
「涙が止まらないよ…マスクがびしょびしょだよ…。」そんなことを下の子は呟いていた気がします。
教室前で泣いている下の子をクラスメイトが迎えてくれました。
でも、涙は止まらない。
担任が下の子を迎えにきたので、泣いている下の子を背にし、学校に任せてわたしは帰宅しました。
帰路で、泣けてきました。
本当にこれで良いのかなって。
いや、よくないよなって、ずっと考えてました。
不登校当事者からみると、なぜこのときに学校へ行かせたのか!と憤る方もいるかもしれません。
もしかしたら、ご自身のつらい時期と重なって思いが溢れてしまう方もいるかもしれません。
でも、この出来事が、わたし自身に「不登校児童の親」になる覚悟を持たせてくれたように思います。
わたしはこの日、下の子に「学校は、行きたくなるまで行かなくていいよ。」と伝えることができました。
下の子にとってはつらい出来事だったのは間違いありませんが、どのような経緯にしろ、人と違う道を選択することに、覚悟がいらないことなどないと思います。
不登校児童の親であることの覚悟と責任
なぜ、不登校が親にとっても覚悟が必要になるのか。
それは2つの理由が挙げられます。
理由1:学校とのやりとり
まず1つは、目の前の課題である「これからの学校とのやりとり」のこと。
早口で書くと、「これから、学校やなんかと話し合わなきゃいけない。それはきっと登校をしぶってたこれまで以上に増えるだろう。学校は学校で、きっと来るように働きかけてくるだろう。電話応対増えるかな。欠席連絡も大変だな。不登校するって決めたら学校に任せていたことを親が担う必要も出てくるな。勉強どうしたらいいんだろうな。生活習慣変わるかな。仕事どうしようかな。」といったことでしょうか。
ある程度不登校が長引いてくると「そういう子」として扱われるのでラクになってくるのですが、最初はやはり学校も親も連絡を密にとったり、家庭訪問をしたりといった調整が多く出てくると思います。
その段取りは、先生にとっても親にとっても負担であることは容易に想像できます。
理由2:学校へ行かなかった先が不透明すぎる
そして、覚悟が必要な理由2つ目です。
文科省の調査では、令和3年時点での不登校児童・生徒は日本中に24.5万人※1と発表されています。
令和3年度の小中学校の全生徒数が940万人。
全体の割合としては、決して多いというわけではありません。
※1「令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」(文科省|2022年10月27日公開)より
現在の不登校は以前より増えたとはいえ、日本で暮らす多くの大多数の人が「学校に通ってきた先にある”今”」を生きています。
学校に通わなかった今を歩んでいる人は、決して多数ではありません。
そして、不登校でも大丈夫という主張を一般化、あるいは楽観視できるほどに理解は進んでいません。
経歴ではなく、学歴だけが選考基準になっている企業も多くあることでしょう。
だからこそ安心して生きていける人がいるのも現実なので学歴社会がダメというわけではないのですが、この選考基準が主流になってしまうのは、そもそもが、教育の選択肢が「学校」以外ないのが日本の現状だからですよね。
だったら、不安に思う親の方が一般的だと思います。
日本の大多数である「学校に行く」という選択肢を取らず、「行かない」という選択肢をとったあと、どのようにして生きていくのか。
人と違う道を歩むという覚悟は、いまの日本においてかなり大きな負担だと感じました。
…という感じのことを下の子の「ランドセルが背負えない事件」から「足が動かない事件」までの間に考えていました。
この3週間で、わたしの覚悟は徐々にかたまっていったように感じます。
この時期の次女の様子
五月雨登校が始まった頃から、下の子は夜眠れなくなりました。
ずっと眠れないわけではなかったのですが、21時頃に寝ていたのが、寝付けずに23時まで伸びていきました。
朝はお腹が痛く、顔色も悪い状態です。
元気もそれほどなく、どこかそわそわしているような状態。
ちょっとしたことで泣いてしまうようにもなり、心が繊細になっているように感じました。
また、外出ができなくなりました。
引きこもりとは違うのですが、これまで家族でレジャーとして遊びに行っていた場所に行けなくなったりしたんです。
出かけたくないと、頻繁に言うようになりました。
家にいたほうが落ち着いたのでしょう。
このような状況をみて、「これは良くないな」と感じていました。
学校へ行けないことよりも、メンタルが落ち込んでいく様子に危機感を覚えたように思います。
以前、自分自身が抑うつ状態になってしまい、1年くらい体や気持ちが日常に追いつかなかった経験があります。
だからこそ、これをひきずってしまうと良くないよなぁという感覚を持っていました。
それもあり、早い段階で「学校に行かなくていい」という気持ちになれたように思います。
親はサポーター


結局、下の子が不登校になってしまった原因はわかりません。
わたしにわかるのは、「学校に行きたくない」という気持ちを持っているということだけ。
下の子はこれ以降、完全に不登校になりました。
別の記事で詳しく書きますが、担任、校長、親、保健師、スクールカウンセラーという大人たち一丸となって、次女の不登校生活を「自尊心を損なわないように」という方針のもと「見守っていく」形をとっていくことにしました。
そのため、学校に行ってはいないものの、小3からは比較的メンタルは安定して生活ができるようになりました。
いまも笑顔で暮らしています。
学校は行くものという価値観との戦い
それにしても、自分が思っていた以上に、自分自身「学校は行かなきゃいけない」と思ってるってことに、気づきました。
不登校を経験していない親自身は大変だと思います。
行かなくてもいいとは言いつつも、本当は行ったほうがいいと思っているから。
だからこそ、親は不登校の子どもに対して、一歩か、それ以上引いた視点で見なければいけないと感じています。
それは、親が自分自身の心や価値観と戦うということでもあります。
どういうことかというと、学校に通うのは、自分じゃなくて「子ども自身」です。
不登校解決にむけて動いていかなきゃいけない責任は親にもあるけれど、問題と向き合って解決しなきゃいけないのは子ども自身。
学校でも親でもなく、子どもが考えることだと思うんです。
まだ小2だった下の子が抱えている問題がどのくらいの大きさか、それはわたしたち親には見てわかるものではないけれど、小さな胸を痛めているのは事実です。
わたしは、あの日無理やり学校に連れていってしまった。
下の子が安心するような言葉をかけておきながら、その言葉はすべて自分が安心したいがために発していた言葉で、決して下の子のためではありませんでした。
親は、自分がこれから発する言葉は、果たして「自分の保身」のためではないだろうか?
それを自問自答し続ける必要があります。
子どもたちの不登校を通して、親として反省すべき点も多くあることがわかりました。
親は、こどものサポーターです。
支援し、応援し、信じて、待ってあげられる人になっていきたい。
いまではそう思っています。
余談ですが、本当に、無理やり学校に行かせるのはよくないと思いました。
子どもが学校の対応をみて不信感を抱いてしまうこともあるし、それでさらに長引いてしまうこともあるかもしれません。
「先生は味方じゃない。学校は敵だ。」
そんな風になってしまうことをわたしは望みませんでした。
いずれは学校に通えるといいなと思ってる以上、学校との信頼関係は崩さないほうがベターだと感じていたので、学校側との面談は、学校と子どもを良い関係にもっていけるような話し方を心がけています。