こうあるべきという「設定」が生きづらくする。じぶんの世界設定はいつでも変えられます

暮らし・ライフスタイル

人間はなにごとにも「設定」が好きだよなぁと考えているゆみちんです。
どうも(´・ω・`)

わたしね、ゲーム攻略本って好きなんですよ。
とくFAINAL FANTASYシリーズで出ている「アルティマニア」。

アルティマニア

これ、ゲームの中の世界とかキャラクターの設定集なんですね。
わたし、これ見るの大好きで。
設定を知るってのがたのしくて仕方ないんですよ(笑)

で、これを見てて思ったんです。
人って、設定を決めるのが好きだなぁって。

そのとき思っていた設定は、ゲームの設定ではなく「人が持っている世界観」と言ったほうがいいかな。
ざっくり言っちゃうとこんな感じ。

悪いことしたらバチが当たる、という世界設定

こりゃ痛い(´・ω・`)

もし、その設定が苦しいんなら、そうじゃない世界設定を持ってもいいんじゃないの? っていう、今日は、そんな話。

じぶんの設定に苦しんでる人、身近な人の設定を押し付けられて困惑してる人の気持ちが少しでもラクになれば幸いです。

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人は設定を楽しんでいるのかもしれない生き物である

目に見えないものの設定って、かなり多くって。
たとえば、片付をしないと貧乏神が住み着く、とかも、設定ですよね。

片付けないと貧乏になる設定とか、じぶんは大金を稼いではいけない設定もありますね。
(お金のブロックともいう。)

何気なく言葉にしてるかもしれないんですが、「わたしってこんなタイプなんだよね〜」っていうのも、じぶんで好きに決めた設定の1つです。

人見知り、上がり症、だれとでも交流できる、思慮深い、慎重派、楽天家。

そうそう、立場で「設定を厳しく」決めていることもあるかもしれない。

母親は愛情深くいるべし。
父親は強くあるべし。
男は男らしく、女は女らしく、子どもは子どもらしく。
料理は手作りすべし。
夫を立てるべし。
妻をいたわるべし。

目に見えない設定(性格や傾向)だけではなく、結婚式やお葬式のドレスコードやマナーも、人が決めた設定の1つ。

白は花嫁の色だから白ドレスはNGとか、かかとのないヒールはダメとか。
お葬式は黒が基本で、通夜には礼服はご法度(準備してたと思われるから)というものありますね。

こうしてみると、この世の中にはいろいろな「設定」があります。

そんでもって、人は、その見ず知らずの他人が決めた設定や、じぶんでこうあるべしと無意識に決めた設定に、縛られて生きていることもあるんだなぁって感じたんです。

貧乏神が住み着く設定

たとえば、先ほど紹介した、片付けをしないと貧乏神が住み着くという設定は、掃除へのモチベーションにつながっていると思うんですが、これ、

じゃ、掃除できなかったら貧乏神が住み着くっていう設定なんだね

ってことなんですよ。
掃除しなかったら貧乏神が住み着いちゃう設定は、良いほうにも悪いほうにも作用してしまうような気がしています。

掃除できなくて出費がかさんでお金がなくなったときは、貧乏神のせいにするのかなぁ・・・?

断捨離しなきゃお金が貯まらない設定とか、人生が変わらない設定なんてのも、ちょっぴり窮屈。

そういう設定を片付けに持ち込んでしまうと、どうして片付けているのか、分からなくなってきますね。

もちろん、そうした設定のすべてが「悪い」のではないですよ。

モチベーションや向上心につながる設定もあるので、そういうものはどんどん活用していけたら、人生がより良いものとなります。

でも、そうではなくて、時として、他人やじぶんが決めた設定に、じぶんが苦しんでしまっていることもありますよね。

生きづらさを手放す。設定はきちんと言葉で伝えよう

先ほど結婚式のドレスコードのことを書きました。

若かりし頃、結婚式のドレスコードをわかってなくて、わたし自身、ちょっと恥ずかしい思いをしたことがあります。

会場や人に合わせてきちんと設定に合わせていくことは必要だと思っているし、伝統や文化を軽んじているつもりもない。
ただただ、勉強不足で間違えただけ。
次からは気をつけるか、きちんと聞いていけばいいだけですよね。

でもね、そこで、「非難」されたことがとても悲しかったんですね。

「設定」を知らない、理解できてないってこと、だれだってあると思んです。
だったら、きちんと教えてくれたらいいんですよ。

これって、結婚式のドレスコードだけの話じゃなくって、

世界設定の違い(マナーやルール)は、きちんと言葉で伝えよう

ってことです。
そこには、非難も中傷もいらない。

「わたしはこう思ってるのに、なんであなたはわかってくれないの!」って思ったこと、何人かはあると思うんです(わたしもあるよ!)。

この「見えない設定による苦しみ」をちゃんと伝えられるかどうかで、人との設定の違いが明らかになったときに、出てくる態度って変わってくると感じてます。

普段から、「こういう設定で、こう感じてるんです。」って、言葉を使ってコミュニケーションをとってる人は、設定に違いがあったときに、その都度、聞いてみたり、伝えたりする。

でも、「察してよ! それくらいわかってよ!」って思っている人は、設定の違う人と出会ったときに「理解できない」とか「(なんでそんなことするんだろう)」とモンモンするんじゃないかなって。

その人のもつ設定は、その人にしか分からない。
知りたいなら聞けばいいし、じぶんと違うなら、伝えればいいだけ。

世界設定は、いつでも・自由に変えられる

もうね、こういう経験があるため、わたしの結婚式では、そんな気を使う設定なんていらん! と思ったので、ドレスコードなし! 平服OK! にしました!

場所もカジュアルなレストランだったし、平服でも全然問題なくって。
それでも、スーツを着てきた友人もいれば、着物を着てきた人もいるし、カジュアルなジーンズで着てくれた人もいた。

このときにね、こういうことを感じました。

あ、設定って、じぶんがやりやすいように変えていいんだ! って。
そんでもって、その設定に従うかどうかも、じぶんで(相手が)決めていいんだ! って。

この経験そのものが、わたしの中でとても生きたものとなっています。

どんな設定でも、思い立ったそのときから、じぶんの手でなくしてしまえる。
しかも、いつでも、自由に、好きなだけ。

貧乏神が住み着く設定に縛られて、鬼のような形相で掃除をしているのなら、さっさと手放してしまえばいいわけです(笑)

窮屈な設定集でだれが苦しむのか

興味深いツイートがあったので、紹介しますね。

専業主婦だと働けよって言ってくる人は、いかなるときも働かねばならぬという設定をもっている人。

保育園に預けられてかわいそうって思ってる人は、保育園に預けられる子はかわいそうになるという設定をもっている人。

時短で迷惑だと思っている人は、何があってもだれにも迷惑かけずに働けっていう設定をもっている人。

専業主婦やってる人に「働け!」って言いながら、バリバリ働いている女性に対して、「それじゃ子どもができないよ?」って言う人は、矛盾を抱える設定をもってる人。

それぞれが、それぞれの設定を押し付け合ってるから、不協和音が起きる。
これはわかりやすいかもしれません。

でも、一歩踏み込んで考えてみると、

じぶんで決めた設定は、じぶんの立場が大きく変わったときに、じぶんを苦しめる

ことになるんです。

たとえば、いかなるときも働かねばならぬ設定だと、働けなくなってしまったじぶんを必要以上に追い込みます。

保育園に預けたらかわいそう設定は、やむなく預けることになったとき、理想と現実の中で葛藤に苦しみます。

時短が迷惑設定は、じぶんがいざ時短をしたときに、迷惑がられることに恐怖を感じます。

最後の人は、いちばん厄介ですよね。
じぶんの矛盾で、信頼すら失ってしまうかもしれない。

生きづらさって、こうあるべしという世界設定をたくさん持つことで生まれるんじゃないかな。

であるならば、人生で起こりうる事象において、柔軟に設定を変えられることが、ラクに生きるための秘訣ではないかな、と感じています。

他人の設定は変えられない

設定はいつでも変えられる。
経験上、わたしはそう思ってるんですが、残念ながら、変えられるのはじぶんの設定だけです。

他人の設定は、変えられない。
本人が変えたいと思わない限り。

だから、あの人の設定は良くないから、わたしが変えてやろう! なんて思っても、それはできないこと。

でも、それをやってくる人もいるわけで。
とくに、身内に多いかしら(笑)
母娘問題とか、この設定の押し付け合いですもんね。

設定は少なくしたほうが生きやすい

ロマサガ攻略本
(こちらはロマンシング・サガの設定集。神話も載っていたりします。おもしろい。)

設定は、なるべく少ないほうがいい。
なぜかというと、変更しやすいから。

設定を少なくしておくことで、いつでも変更できる。
そう考えるようにすると、人のことが気にならなくなりますよね。

人のことが気になるときって、その人の設定 vs じぶんの設定になってるとき。
そして、じぶんの設定にやたらこだわっているとき。

その「vs」やこだわりを取り除く方法として、設定を少なくしていくことが、ラクにできるヒントかもしれません。

あともう1つ。
これも、「vs」思考になってる結果なんだけど、

他人の設定とじぶんの設定は違っていい!

と、思うことですね。

思うだけでいいんです。
それだけで全然違う。

受け入れるとか、受け止めるとかじゃなくて、あ、あなたはそういう設定集をお持ちなのですね! って思っておくだけでいい。

わたしもわりと生きづらい感覚を持って生活していたんですが、違っていいって思うだけで、最近ではずいぶんラクになりましたよ。

だれに何を言われても(もちろん、間違っていることは受け止めますが)、ささいな設定の違いであれば、あ、そう で終わらせるようにしています。

結局、設定同士がぶつかりあったときに、どうしても「善悪」「白黒」つけようとするから苦しいんですよね。
いや、わたしのほうが正しい! って思ってしまうから。

もちろん、じぶんが正しい。
でも、正しいのは、じぶんの設定の中でだけ。

設定vs設定になりそうなとき、頭に血がのぼって怒りまくってるとき、気持ちが沈んでダメ出しばかりしてしまうとき。

この「個人で設定は違う」、「他人の設定は変えられない」ということを思い出しつつ、じぶんの不要な世界設定を捨てていけたら、少しだけ、気持ちに余裕が出てくるんじゃないかなって、そう思っています。


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